Akamatsu News 第9号

 【赤松自治会だより】

 新年明けましておめでとうございます。

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 昨年は新型コロナウィルス蔓延で、大変な年になりましたが、今年はその影響が少なくなることを願いたいものです。

「赤松自治会だより」第9号を発行しました。今回の新年号には、小宮会長の新年の挨拶をいただきました。

 前々回から連載企画「茅ヶ崎歴史散歩③」は、前号で少し触れた「ラチエン通り」を取り上げました。この道に付けられた愛称は、平成12年(2000年)に茅ヶ崎市が「道の愛称事業」として行った際に採用されたもので、シエリアマンションの前の通りに「赤松通り」と名付けられたのも同事業の結果です。

 裏面は、最近発生したシエリアマンション駐車場とチャレンジパークの境界にあるフェンス破損の記事です。ボール遊びが出来る、数少ない公園として人気がありますが、ボールがフェンスを越えた際に、よじ登りフェンスを壊しています。ボールがフェンスを越えた際は必ず、シエリアマンションかYU-ZUルームの管理室へ連絡し、取ってもらいましょう。

 第9号までのPDFは下記のリンクからダウンロード出来ます。

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赤松自治会だより第9号 表面

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赤松自治会だより第9号 裏面

 

茅ヶ崎市の小学校区の変遷について

 以前、このブログで「小学校区」と「まちぢから協議会」の区分けエリアが異なることを掲載しました。その後も小学校区の変遷には興味があり、偶然「青少年指導員だより」100号記念号にその様な記事を掲載するチャンスがあったので、少し探してみました。

 結局、市のサイトにも該当するような資料が無く、市役所の知人に聞いてみたところ、「茅ヶ崎 教育史」と言う本があり、そこにあるかもしれないと言うこととなりました。早速図書館に行き、ちょっと厚めの本を2冊借りだして調査。

 その結果、市内の学校の変遷を年表にまとめたよい資料が見つかったため、この資料と現在の小学校区を元に、過去へ遡ってみました。下はそのコピーです。(クリックすると拡大)

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茅ヶ崎 教育史」より抜粋

遡った結果から、学区地図を作成してみました。現在の学区区分から遡ったため、厳密には当時の区分けとは異なりますことをご承知下さい。

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小学校区 昭和20年〜昭和30年

 戦後すぐ(昭和20年)の小学校区は4つですが、明治時代に尋常小学校が出来た頃からこのままです。茅ヶ崎(1892年設立)、鶴嶺(1909年設立)、松林(1894年設立)、小出(1873年設立)と、すべて明治時代に設立されています。これ以前は江戸時代の寺子屋になります。

 昭和22年3月31日に教育基本法と学校教育法が公布され、4月1日から6・3・3・4制を基本とする学校制度がスタートしました。この時点ですでにあった4小学校(戦時中は国民学校で、4月1日から小学校)に、新制中学校が併設されました。但しこの時点では茅ヶ崎町と高座郡小出村に分かれており、市政施行前です。この年の10月に市制が施行され、茅ヶ崎町のみ茅ヶ崎市になりました。詳しい情報は「昭和22年の茅ヶ崎」に有ります。このサイトに掲載の下記パンフレット

https://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/025/164/panhu.pdf 

詳しく書かれていました。

 昭和27年(1952年)に西浜小学校が設立され、当時の小学校区は5つになりました。昭和30年に高座郡小出村は茅ヶ崎市藤沢市に分離併合され、小出村立小出小学校は茅ヶ崎市立小出小学校に、小出村立小出小学校遠藤分校がそのまま独立して、藤沢市立秋葉台小学校になりました。筆者が小学校に通っていた昭和33年〜昭和39年(1958年〜1964年)はこのような学区でした。当時、香川の低学年の子らは松林小学校香川分校に通い、高学年の子は松林小学校まではるばると通っていました。香川の子は強い!

 昭和40年の小学校区は8つ。私が小学校を卒業した頃(昭和39年/1964年)に、松林小学校から分離し香川小学校が出来ました。また松浪小学校も昭和31年(1956年)に松林小学校から分離し設立。梅田小学校は昭和34年(1959年)に茅ヶ崎小学校から分離し設立。

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小学校区 昭和40年〜昭和50年

 昭和50年の小学校区は12。昭和43年(1968年)には浜須賀小学校が松浪小学校から分離、鶴が台小学校が鶴嶺小学校から分離し設立、昭和44年(1969年)には柳島小学校が西浜小学校から分離し設立。昭和49年(1974年)に小和田小学校が松林小学校から分離し設立されました。この頃は高度成長期と呼ばれた時代で、人口も急激に増えています。

 昭和60年の小学校区は16。昭和52年(1977年)に円蔵小学校が鶴が台小学校から分離、昭和53年(1978年)に今宿小学校が鶴嶺小学校から分離、昭和54年に室田小学校が松林小学校から分離し設立されました。昭和56年(1981年)に東海岸小学校が茅ヶ崎小学校から分離し設立されました。茅ヶ崎市の教育史にはここまでが掲載されていました。

 現在の小学校区は19です。昭和60年(1985年)から令和2年(2020年)までの35年の間に3校だけ小学校が増えました。それまでの増え方からすると、急減速です。1992年に湘南ライフタウンが完成し、茅ヶ崎市小出の堤地区の一部が藤沢市立滝ノ沢小学校の学区になっています。

 平成10年(1998年)浜之郷小学校が鶴嶺・今宿小学校から分離し設立。平成13年(2001年)緑が浜小学校が松浪小学校から分離し設立。平成23年(2011年)汐見台小学校が開校。これで、全校が出そろいました。

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小学校区 昭和60年〜令和2年

 茅ヶ崎市の戦後から、現在までの小学校数と人口/世帯数を比べてみました。年代は均等ではありませんが、人口増加につれて、学校数が2倍に増えていきますが、1世帯あたりの住人の数の平均値は減っています。

 1950年には、約5人/世帯であったのが、1965年には約4人、1985年には約3人となり、直近では2.3人/世帯となりました。子供の割合が減っている証拠です。

年号 1950 1965 1985 2019
学校数 4 8 16 19
人口 47,000 100,000 185,000 242,000
世帯数 9,700 25,500 57,000 103,000
住人/世帯 4.8 3.9 3.2 2.3

これらをまとめたものが下記。(クリックすると拡大)

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茅ヶ崎市小学校区の変遷と人口