茅ヶ崎歴史散歩 ② 姥島(えぼし岩)

  今回は前回の予告通り、姥(うば)島について紹介します。

 古くから茅ヶ崎に生まれ育った方は「姥島」と聞いて「えぼし岩」を思い浮かべると思いますが、割と若い方は聞き慣れない名前でしょう。サザンオールスターズが歌の中で取り上げた「えぼし岩」の方が圧倒的に有名です。

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大島を背景にした姥島

 「えぼし岩」は正式な島の名前ではなく、島の正式名称は姥島です。古い資料では「乳母島」と呼ばれていたこともあり、「相模なる小和田が浦の乳母が嶌誰をまちつつ独寝(ひとりね)をする」と言った歌が残されています。(藤沢の歴史「我がすむ里」より引用、下記サイト)

http://www.st.rim.or.jp/~success/sirahata/fujisawaS2_mokuji.html

  この歌は、熊野神社に歌碑として残っており、この歌に関しては面白い伝承があります。 詳細は下記のサイトをご覧ください。

http://aralagi.travel-way.net/jinja/kumano_kowada.html

 熊野神社の歌碑です。熊野神社の右側にある、姥母神社の横に鎮座していました。熊野神社の左側には「尾根神社」と記した石碑があり、この「尾根神社」がもとは姥島に祀られていたという記録もあるそうです。上のサイトでは歌碑も尾根大明神にあったと書かれていました。

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尾根神社の石碑と歌碑

  戦後、米軍の演習地として海岸一帯が接収され、えぼし岩が射撃の的とされ岩の形が変形し今の形になりました。茅ヶ崎市のホームページには、戦前のえぼし岩の写真が掲載されています。

https://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/kankou_list/koen/1006948.html

 えぼし岩は、茅ヶ崎海岸の沖合約1.4kmにあり、高さは14.6mです。この高さを鎌倉の大仏の高さと比べた方がいましたが、大仏は台座を含めて13.3mなので、えぼし岩の方が少しだけ大きいです。

 下の写真はラチエン通りから見える、えぼし岩を撮影したものです。600mmの望遠レンズで撮影するとこんな具合に見えます。

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ラチエン通りからのえぼし岩

【出典:我がすむ里(小川泰二)、茅ヶ崎市H.P.「えぼし岩」】

【備考】

 藤沢デジタル文庫に掲載されていた、小川泰二氏が著したとされる「我棲里:我がすむ里」に姥島のことが書かれている。その部分のみ転載すると、

乳母島
この海辺を西に去事一里ばかりにして、海中に峨々たる巌石突起す、その高さ七八丈、紆曲屈伸、竪に割たる法螺貝の片われを視るがごとく、奇観いふばかりなし、形に依て、筆嶋とも呼、本名、御根と称し、尾根大明神を祀る、我考がふる一説あり、尾根ハ御根(おんね)にて、当相模国の根の盤石の、片はしの現はれたるならんか、大山石尊といふも、雨降山の絶頂の土崩れ、わずかにこの地盤の山骨あらはれたる、これを尊とみ、石尊宮と祀る、されバ山に在てハ石尊宮、海に在てハこの御根の御神こそ、当国の根本と崇めまつるべき道理なり、今ハこの社もたびたび風波に荒るゆへ、小和田上郷に遷す、この社内に、昔より伝へたる歌
相模なる小和田が浦の乳母が嶌誰をまちつつ独寝(ひとりね)をする
この嶌根、大小ふたつの大巌の根廻り広く、平岩・沓岩・鯨通しなど名付るところ有て、その外高低の巌石海中に隠顕し、すべてこの裾岩の廻り一里有余と云り、長閑(のどけ)き春の汐干にハ岩根ひろくあらはれ、鮑とる海士(あま)、栄螺(さざえ)つく童子、みなこの磯の風景にして、東にハ絵の嶌、鎌倉山、固瀬の漁村、西には富士、足柄、二児の山々、伊豆の岬、葉嶌(はしま)、大嶌まで、鴎の沖に遊ぶがごとく波間がくれに見わたり、誠に当国美景なれバ、文稚の輩ハ弥生の比を待て渡海し、巌間に酒をあたため鮮魚を切て、吟詠するものも多しと聞り

 ここには、細かに姥島のことが記載されています。そして、「とても綺麗な風景なので、文人たちは姥島に渡って、酒を温め鮮魚を切り、吟詠するものが多い」と記しています。現代の我らもぜひあやかりたいものです。