今回は前回に少し触れました、「ラチエン通り」ついて紹介します。
赤松町に暮らして、東京方面に通勤・通学されている方には、あまりなじみの無い名前かもしれません。この通りは下の地図に示されるように、国道1号線のTOTO(旧東洋陶器)東側あたりから、えぼし岩を結んだ一直線の道路です。松林中学校前の「室田通り」を南下して、国道一号線を渡ると名前が「ラチエン通り」に変わります。
もっとも、ある世代の方にはサザンオールスターズの「ラチエン通りのシスター」という曲で有名かもしれませんが。
元々は、茅ヶ崎村と小和田村両村の漁場の争いから、1664年に幕府評定所が定めた境界で、東海道近くの手白塚(現在のTOTOあたり)から見通せた姥島までの直線を、両村の境界とし漁場もここを境としました。明治頃までは道ではなかったようです。その後、通りは郷境(村の境)と呼ばれるようになりました。
明治35年(1902)に、ルドルフ・ラチエンは炭酸水販売の社員として来日。その後「ラチエン商会」を開業し、当時はメルセデス・ベンツ等のドイツ製品の輸入を手がけていました。昭和7年(1932)に、現在の松が丘に敷地面積15,000坪の別荘を建て、日本人の妻と一緒に過ごしました。別荘前の通りには120本の桜を植え、「桜道」とも呼ばれたそうです。(現在の桜道とは異なります)
この別荘跡地、現在は大きなマンションが建っており、その近くに「松が丘ラチエン通り公園」が。
鉄砲通りの近くから見たえぼし岩の遠景です。
そのほかにも、ラチエン通りを紹介したサイトが多数ありましたので、リンクを張っておきます。