茅ヶ崎歴史散歩 ⑤ 一里塚

 今回は、江戸時代の東海道に設置された「一里塚」の話題です。筆者は交差点の名前として「一里塚」を認識していましたが、現地へは行ったことが無かったので、天気の良い日を選びカメラ持参で、ロードバイクを駆って初訪問。

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一里塚全景

 国道1号線東海道)と茅ヶ崎駅から続く「一里塚通り」の交差点が「一里塚」交差点で、京都へ向かって左側、交差点の手前にありました。一里塚には石碑があり、一里塚の由来が書かれています。

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一里塚説明の石碑

 説明文を要約すると、「徳川幕府は1604年に、東海道などの主要街道に一里(約4km)ごとの塚を築き、旅人の目安になるようにしました。茅ヶ崎の一里塚は日本橋から14番目にあたり、かつては道の両側にありました。」と言うことでした。と言うことは、茅ヶ崎一里塚の前後4kmには別の一里塚がある、というのは自明のこと。早速、ネットで調べてみると、茅ヶ崎の一里塚がとても貴重なものであることが判りました。

 茅ヶ崎の江戸側にある一里塚は、藤沢市の四谷にありましたが、「一里塚跡」で、下記写真の赤枠部にあるように、木の棒が一本あるだけでした。(Google Mapより)

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四谷一里塚跡

 さらに、一里離れた遊行寺も一里塚はあったのですが、これも「一里塚跡」で、こちらは両側にあり、京都に向かって左側は石碑になっており、右側は説明板のみでした。(Google Mapより)昔はもっと急な坂であったものを、削って緩やかな坂にしたため無くなったようです。

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遊行寺一里塚跡

 さらに、平塚側を調べてみると「馬入一里塚跡」がありました。旧道沿いに大きめの石碑があり、2010年に建てられたものでした。(Google Mapより)

www.kanaloco.jp

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馬入一里塚跡

 さらにネットを調査すると、東海道全域を調査したWebサイトもあり、一里塚に関する情報がいろいろと掲載されていました。

 なお、一里塚とは「江戸時代に、全国の諸街道に一里ごとに土を盛り、松や榎(えのき)などの樹木を植え、里程(りてい)の目標とした塚」であり、「赤松自治会だより」第11号で紹介したように、一里塚は「石塔」そのものでは無く、「こんもりとした塚」そのものが一里塚でした。ここに修正し、次号で訂正致します。