「赤松自治会だより」の11月号から連載を開始した、「茅ヶ崎歴史散歩」の詳細版をブログに掲載します。
① 茅ヶ崎の名前について
「茅ヶ崎」の名前の由来は、諸説有りますが、有力な説が以下のものです。
その昔、現在の茅ヶ崎の浜に「チガヤ」が群生しており、そこの砂州が崎(岬)になっていたためその様に呼ばれる様になった、というものです。ここで、「チガヤ」とは漢字で「茅」と書き、イネ科の雑草でススキと同じ種類の植物です。【チガヤの写真】
茅ヶ崎という名前が歴史の資料に出てくるのは戦国時代である文明2年(1470年)で、熊野(熊野神社:和歌山県)御師の相模国檀那(信者のこと)注文に「ちがさき さこの四郎」、「ちがさき 五郎二郎」とあります。さらに、戦国時代の後北条氏の家臣台帳といえる「小田原衆所領役帳」に「東郡茅ヶ崎」とあり、これが記録として「茅ヶ崎」が現れた最初であろうとされています。
結構昔から、私たちの住んでいる「茅ヶ崎」という名前はあったのですね。次回「姥島」へ続く。
【出典:茅ヶ崎の地名(樋田豊宏編)、茅ヶ崎市H.P.「茅ヶ崎村の由来」】
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